宮本武蔵になりたい夫による夢現無双レポ
約1年ぶりのブログ更新となりました。
2018年9月。前回の夫による初観劇レポートは一度きりのつもりで今後更新は無いと思っていた我が家に突然舞い込んだ吉川英治原作「宮本武蔵」宝塚舞台化のニュース。
夫は生粋の宮本武蔵ヲタクである。幼少の頃より剣道・日本画を嗜み、大人になった今では髪型とヒゲを伸ばし結構本気で「宮本武蔵」に近づくために生きているような若干古風な志を持った男に対して、まさかの初宝塚デビューを果たした珠様率いる月組での舞台化。
天海さんもこんなことってある?状態で3月下旬に観劇へ出かけ、再び筆をとってくれた次第である。
ヲタクが故に少々おかしなテンションですが心温かく読んでいただければ幸いです。
※観劇を控えテンションが上がってきたある日、寝る間際に一乗寺下り松・・・と呟いて気を失うように眠りについた夫を目撃。翌日「呼ばれてる気がするんだよね」と言い出したので、なんだか心配になり一乗寺まで宮本武蔵巡りを決行。数年前に巌流島には出かけているので次は武蔵が晩年を過ごした九州に行きたいと新たな目標を掲げている。
【1年ぶりか…】
ここから見る景色は変わらねぇな…
私はこの場所に帰ってきた。
いや、あえて「還ってきた」と言いたい。
1年前にここで宝塚歌劇団の洗礼を受け、今日ここに辿り着くまでの1年間。映画館で雨に唄えばを観せられたり、梅芸でウエストサイド物語を観せられたりとそれなりに修羅場はくぐってきたつもりだ。
…もう宝塚を知らぬ野人ではない…
前回のようにナメきった態度で今日を迎えたわけではないのだ。
それにしてもなんだか今日は、想像していたより穏やかな気持ちだ。
1年前、少し元気の無かった私を救ってくれた とあるプリンシパルに、お別れとお礼を言いにきたのだからもっとしんみりするもんかと思ってたけどなぁ…
まぁそれはどうでもいいとして、
今日の本題。
「天下無双」とはなにか?
石舟斎殿の言うとおり、ただの言葉なのでしょうか?
教えてください武蔵先生、巌流との闘いですらもあなたは勝つべくして勝ったのでしょうか?
あなたの事を理解しようとしても凡人の私には到底理解できるものではありません。
ただ今日、この場で二匹の虎が闘います。
月の下、最期に戯れ合う二匹の虎を見ることで、あなたの思想に少しでも深く触れることができると私は思っているのです。
願わくば、タマキくん、ミヤくんという虎二匹に貴殿ら剣豪の魂が宿り賜うことを…
~~さぁ、宝塚大劇場へ~~
【その前に腹ごしらえ】
味も美味で雰囲気も抜群であった。
ジェンヌさんも普通に食事しているしドキドキワクワクである。
…沼にハマるとはこういう感覚なのだろうか…
【さぁ、改めて大劇場へ】
宝塚大劇場は相変わらず優雅だ。街の雰囲気、人の雰囲気がやはり優雅だ。
出待ちなのか入り待ちなのかわからんが列作ってる人たちもギャーギャー騒ぎ立てることなく優雅だ。誰が何しても気品がある。
そしてアイフォンを替えたばかりなので無駄に写真を撮りたくなってしまう。
外でパシャリ、宝塚歌劇の殿堂という有料の場所でも嫁と2人でシャンシャンを持ってパシャリ。
嫁はその後1人で写りたいとまたスタッフに写真をせがんでいた…
今日宝塚歌劇の殿堂を見て驚いたのは、この不良のカリスマを大地真央さんや安寿ミラさんが演じていたということ。
是非再演していただきたいが演じることができるトップが今いるのかどうか
あとイチローはエリザベートが好きすぎて全曲歌うことができるらしい。
…なんだよ、みんな宝塚好きなんじゃん。
なんか安心した
去年と同じく階段でもパシャリ。
女子トイレの長蛇の列も相変わらずだ…
そして穏やかな気持ちのまま「夢現無双」を迎えるのだった…
【いざ夢現無双】
まず今回のお話は宮本武蔵先生の半生を90分という短い時間にこれでもかというくらいに詰め込んでいる印象を受けた。
宮本武蔵の人生とその周囲の人間関係を予め理解していないと楽しむことは難しいかもしれない。
だが月組のフィルターを通して見る宮本武蔵、宝塚独自の解釈というのか、決して煌びやかでない、華やかさとは縁遠い宮本武蔵の世界を綺麗に落とし込んだのは流石と言わざるを得ない。
あと、みんなのビジュアルがほぼほぼバガボンドだったので今回はバガボンドありきで話を進めていく。
まずハナタレ小僧感の凄い武蔵、又八、お通の3人の幼馴染が茶番劇をしたあと関ヶ原に参戦する為、いきなり17歳になった武蔵と又八の2人が床から飛び出てきた!
これは素直にカッコイイと思ってしまった。
2人の登場の時の拍手は大変大きく、1番手と3番手の人気、箔の違いを私に見せつけてきた。
これがオープニングになるのかわからんが、2人が床から出てきたり、侍軍団が粋なダンスをしたり、カラスっぽい黒子がワラワラしたりで空気がピリッとした気がした。
いい意味で漫画的というか、アニメ的というか、なんか2次元の演出ってこんな感じなのかな~と私は思った。
そしてタマキくんは…役作りの為にバガボンド読んだんじゃないかって思ってしまうくらい完全に
「タケしゃん」
これ、見た人ならわかってくれると思うのだがタマキくんと瓜二つ
目を閉じれば瞼の裏に憎き父、新免無二斎の姿を浮かべ、出会う人みな敵になるような不細工な殺気を撒き散らしている17歳の武蔵をタマキくんは見事に演じている。猛々しい身体に口調も荒々しく、まさに野人。野山を駆け回る山猿である。
いい面構えをしとるが、ちと危うい。
自分自分、自分ばかり。
鬼の子、悪鬼、悪蔵と呼ばれ、村中から忌み嫌われ、人を殺し続けいつか自分が殺されることを願っていた武蔵に沢庵が諭す。
チャピがいなくなっても、ミヤくんがいなくなってもお前は独りじゃない。
闇を知らぬ者に光もまた無い
闇を抱えて生きろ。
ケリをつけてこい。
沢庵は武蔵にこう言ってる気がした。
お通は慎ましくタマキくんに寄り添おうと健気さと努力を感じる。
人は1人では生きられないと初めて学ぶ武蔵。新免武蔵→宮本武蔵と新たにスタートを切ることになる。
武蔵=タマキくんはどんな剣豪になるのか、物語はどんどんはしょるにはしょるのであった…
【吉岡道場】
強くなる為に京の名門吉岡道場に乗り込む武蔵。1年後に再戦をするというくだりを数分で終え、武者修行もまぁ
はしょる はしょる!
宝蔵院では何故か阿厳が出て天才の胤舜が出てこないし(胤栄はいる)
柳生の城では、柳生四高弟らしきやつらがいるので二天一流を開眼するかと思えばそうでもない。
でもまぁ かつては瞼の裏に憎き父がいたのが最近は2人の爺さんを思い浮かぶようになってきた武蔵。この頃から天下無双とはなんなのか考えるようになってきたのか、身なりも口調もだいぶ成長してきてる気がする。
もしかして凄い速度で武蔵が成長してるので観客がはしょってると勘違いしてるのかも…
そして吉岡一門との再戦。
…関係無いけどこの前一乗寺下り松に行ってきたばかりだ。
清十郎→伝七郎→植田率いる吉岡一門70人との闘いになるのだが、バガボンドとは違う流れや演出でこれはこれで面白い。
藤次が生きててお甲と3枚目やってるし。
あと清十郎をやっていた娘がとても魅力のある清十郎を創り出していた。
飄々としているのだが当主の風格と強さを持ち合わせ、粋な京都弁で武蔵の前に立ちはだかる。
タマキくんやミヤくんでも出せない、この娘だからこそできる最高の吉岡家当主であった。
この娘名前知らんけど後半では金色の衣装でかなりセクシーだった。
ホットパンツ姿をオペラでガン見してしまうほどだ。私は逮捕されてもおかしくはない。
とりあえずこの娘は最高の吉岡清十郎を創り出し、後半のショーではボーイッシュなのに妙にセクシーという末恐ろしい存在感であった。
で、話を戻すと清十郎や伝七郎を倒すほど強くなり、さらに手段を選ばず勝つ為にはなんでもする武蔵。
で、また沢庵に説教され剣の道を一旦諦める武蔵。
はしょってる所為か、沢庵はただの説教臭くて煩いだけのジジイに見えなくもない…
天下無双…勝つべくして勝つ。見てるこちらも混乱してきた。
そして仏像を掘りながら畑を耕す武蔵。
ちゃんと伊織っぽい子供もいてなんか嬉しくなってしまった。
あと吉野太夫に絵を描いたりとかの何気ない場面でも武蔵先生は剣の才能だけでなく、絵や書の才があり、哲学者の思想も持ち合わすなどのマルチな人だったんだなぁとこちらは想像することができた。
というか、吉野太夫を演じていたこの娘、とても可愛いのだけど。
初めて見たときにジャージだったのでジャージ娘と私は呼んでいるのだが、なんか、単純にルックスが好みである。
とても綺麗で可憐だ。
まぁジャージ娘と吉野太夫が同一人物だと知ったのは演目終わってからなのだが。
普通にデートがしたい
さて、話を武蔵に戻す。
畑耕してたらまさかのここで鎖鎌の宍戸梅軒登場!よく見ると竜胆みたいな娘もいるのがまた嬉しくなってしまう。
で、鎖鎌との闘いでついに二天一流使うかと思ったのだが、別にそうでも無かったのである…
【忘れてはならない、ミヤくん】
っていうかここまでちょいちょい出てくるミヤくんについてなんも語ってなかった…オープニングからちょいちょい巌流佐々木小次郎は出てきているのだ。
2匹の虎が出逢い、天才同士にしかわからぬなにかを互いに感じ取る場面なんかは月組のツートップの孤高な感じが役柄にガッチリとハマっていた。
キザで強くて天才で、
でもどこか哀愁が漂う佐々木小次郎。
巌流を演じるミヤくんは1年前に垣間見た
「男の美学」と「不良の美学」
を兼ね備えたミヤくんそのものであり、なにも変わっていなかった。
相変わらず小柄で華奢で、おまけにクセが強い。なのにかっこいい。
ベジータっぷりは今回も健在。
そして今回のミヤくん、まさかの 「キリシタン」 である。
これには驚いた。ステキなロザリオを首にさげているのだ。
天草四郎が出てくる話間違えたのかと思ったがそうではない。
カトリックかプロテスタントかなんなのかわからんが、もうこちらとしてはオシャレなロックンローラーにしか見えん。
で、今回最高で最強な演出と感じたのが鎖鎌との闘いで小次郎が武蔵を助太刀する場面だ。
これは熱い。
ここは泣いてしまう人もいるのではないだろうか?
最初で最後の共闘でこの後2人はケリを着けなければいけないのだから。
月組の現実と役柄がガチっとハマりここで私の中の川平慈英が再び現れた。
宝塚のフィルターを通すと武蔵と小次郎、1番手と2番手、カカロットとベジータという不思議な「コンビ萌え」が成立する。
にわかの私は宝塚歌劇団の中でタマキくんとミヤくんのコンビ以上に熱いツートップを知らない。
知りたくもない。
互いに最期に 「自分は強いのか?」「自分は何者か?」 それを教えてくれるのはこいつしかいないとなり再び剣を取る武蔵。
無二斎を幼い小次郎が負かしていたとかの申し訳程度の因縁もあったりして。
世に言う巌流島の闘いは瞬きを禁じて見なければいけない。私はそう感じた。
ちなみに数年前に巌流島にも行ってきたのだがこれも話すと長くなるのではしょる。
武蔵と小次郎の一騎討ちの殺陣は、2人とも流石というか、本当に綺麗だった。
互いにケリをつけようとするその様は、なにか感慨深いものがある。
しかもここで当然のように二天一流!
最大の見せ場で二天一流!!
つまらん話をすると、燕返しは恐らくカウンターの技。
小次郎の物干し竿に対し武蔵は船の櫂で対抗する。
武蔵が先手に回るなら脇構で相手に距離を測らせず、後手に回るなら左上段で待つかなぁと勝手に憶測していたのだがその時点で私は武蔵先生のことを理解できていなかった。
武蔵先生の思想は
「型にとらわれないこと」
その理念が後の五輪書に繋がるのだ。
タマキくんとミヤくんの殺陣は型にはまらず自由で、なにより2人が楽しそうに見えた。
「あぁこれ多分、2匹の虎に剣豪の魂、宿ってるなぁ」
私はそう感じた。
【Be water, my friend.】
あと、今回、舞台の両脇には波のセットがある。
この両脇の波のセットを見た瞬間、今回の夢現無双の製作に関わったすべての人が宮本武蔵の思想、理念を表現したかったんだろうと私はとらえた。
Be water, my friend.
これは李小龍の名言である。
私は宮本武蔵の思想を体現したのが李小龍だと勝手に思っている。
「考えるな、感じろ」
は多分李小龍を知らない人でも聞いたことある言葉だと思うが、この有名な名言も武蔵先生の理念と同じである。
「心を空(から)にしろ。
形を取り去れ、型を捨てろ。水のように。
ボトルに入れたら、ボトルに、
水は絶え間なく流れ、激流にもなる。
水になるんだ。友よ。」
李小龍の名言を日本語にするとこうなるのだが、これは武蔵先生の五輪書のパクリというか、サンプリングというか、リスペクトなのだ。
この話を知っていれば舞台の両脇の波=水になる。
今回の演目では水が重要なのであると私は勝手に解釈した。
彼らの思想や理念は剣術や武術に興味が無くても芸術的なまでに美しいので興味のある人は是非知ってほしい。
ジークンドーの話をすればまた長くなるし、李小龍や宮本武蔵の思想も元を辿れば孔子とかになりそうなのでこの話はここまでにする。
「心を水にする。水は小さな一滴にもなれば大きな海にもなる。」
五輪書にはこういうことがたくさん書いてある。
最近ではビジネス書として海外で大人気というのだからさすが武蔵先生。
ちなみに李小龍のこの写真、巌流島に向かう宮本武蔵に見えるのは私だけだろうか…
話を戻してクライマックス。
紙一重の差で勝ったタマキくん。
ミヤくんは我が生涯に一片の悔い無しという感じで誇り高く散る…
「小次郎…安らかに眠れ…」
退団で佐々木小次郎を演じて去っていくのが粋だ…
観客の反応を見ててもミヤくんは最高で最強な2番手ってやつなのがにわかの私にもわかる。
それってもしかしてトップスターになるより難しくて凄いことなんじゃないかな…
ジェロム・レ・バンナみたいな無冠の帝王の美学というか。
天下無双とは結局なんなのか?観劇した後も私は言葉にできない。
言葉にならない。
タマキくんを筆頭に、舞台で凛として立ち振る舞い、常に第一線で闘い続ける月組の精鋭たち。
彼女達は我々に強さを、夢を見せ走り続けている。
彼女達は我々のイメージ通りに妖精のような存在なのか?
否、本当は我々となんら変わらない1人の人間だ。
この世に強い者などいない。
彼女達は「強い者」ではなく「強くあろうとする者」なのだ。
彼女達に勇気や元気をもらったのなら、今度は私がその第一歩を踏み出そうと思う。
でも初観劇の時も言ったけど、やっぱりミヤくんが輝くのはタマキくんがトップにいるからなんだろう…
1年前はチャピがいた。今はもういない。そして次はミヤくんがいなくなる。
月組は形を変えて光り輝き続けることを願っている。
さよならありがとうミヤくん。
がんばれタマキくん。
なんとなく帰りの車で「花は咲く」を聴いて我が家へ帰るのであった。
~完~
続・夫が初観劇の感動を書き綴ったレポート【BADDY・後編】
【BADDYという男について】
観客の度肝を抜くド派手な登場をした彼は、素人の私から見ても、 やはり彼こそが月組の『頭』※を張っている存在なのは間違いない。 と、瞬時に理解することができた。
※アウトローな不良漫画で使用されるトップの意
彼は言う、
『邪魔だっ! どけぇっ!! 誰も俺を止められないっ!!!』
これはもう完全に、歌舞伎の世界の 『大見得を切る』所作で間違いない。
一気に100人は薙ぎ倒すであろう猛将のような動きのキレ。
ギリギリの緊張感とタイミングで繰り出す爆発力のある声の張り。
確実に1番後ろの席まで届いている虎のような眼力。
もはや人間国宝じゃないのが不思議なくらいである。
この場にいた観客は全員感じていたと思う。
タマキくんが創り出す『男の美学』と『不良の美学』を。
この男は、ちゃぴちゃんだけでなく、観客全員のハートも射抜いていたのだ。 これを『トップスター』という言葉だけで片付けていいものか…
どうしてもそんな一言で片付けることはできない。
私は『視えて』しまったのだ。
タマキくんの天賦の才以上にしてきた血の滲むような努力が。
これは舞台に立っているジェンヌさん全てに言えることでもあるのだが、
『彼女たちは人生の全てを犠牲にして宝塚歌劇団に命を懸けている』
その『覚悟』は、素人の私から見ても明白だ。
そして、そんな精鋭集団のトップであるタマキくんだからこそ、 『どこまでも真っ直ぐなアオヤギ青年』 『純粋な悪のカリスマのバッディ』 この2つを見事に演じきれるのだ。
一見正反対の役だが、タマキくんの根っこの部分は同じなのかもしれない…
『正義と悪』という言葉は非常に曖昧で、
アオヤギ青年もバッディも、どちらも
『清く 正しく 美しく』
を体現している。…どこまでも純粋に…
【吉田拓郎の『純』という歌がある】
アオヤギ青年とバッディを演じたタマキくんを思い出すと、この歌が私の頭の中で再生されるのだ。
誰もがこの歌のように、アオヤギ青年やバッディのように真っ直ぐに生きたい。 だが生きている以上真っ直ぐ歩くなんて不可能なのだ。 どこかで必ず道を踏み外す。
宝塚歌劇団は、 大人になるにつれて色々と諦めてしまっている私に、もう一度夢を見させてくれた。
誰もが彼女たちのように凛々しく生きたい。
たとえ彼女たちのように生きるのが無理でも、優しさも持ち合わす彼女たちは、 『ダメなままでもいい。ありのままの自分を受けとめて。』と言ってくれるだろう。
あくまで妄想なので言ってくれるか知らないけど。
愛と夢の力は偉大である。
彼女たちはまた私にシンプルな答えを教えてくれた。
以上、初めての宝塚 第二幕感想。
~完~
続・夫が初観劇の感動を書き綴ったレポート【BADDY・前編】
前回のレポート、沢山の方にお読みいただけて嬉しいびっくりでした。
ありがとうございます。
BADDYの感想を読みたいと予想外に嬉しい反応をいただきまして、またまた夫が自主的に書き綴った『BADDY』のレポートを載せたいと思います。
宝塚とは縁遠いおじさんが書いたものなので、ファンの方々からしたら不快に思ったり見当違いなことを言っているかもしれませんが暖かい心でお読みいただけたれば幸いです。
あといちいち例えが古いのだがこれでも平成生まれである。
〜第二幕〜ショー・テント・タカラヅカ〜
【BADDY-悪党は月からやって来る-】
待ってました!
これぞ宝塚版の『デモリションマン!』
〜聞いていた前情報はこちらのことだった〜
〜とんだ勘違いをしていたぜ〜
ここはピースフルプラネット地球、世界統一され、戦争も犯罪も全ての悪が鎮圧された地球に月から大悪党がカチコミに来るわけだ。 それを正義の捜査官が阻止するというストーリーである。
蓋を開けてみれば全然デモリションマンでも無かったわけだが、確かに通ずるものはある。 この構図なんて瓜二つである。
第一幕では真っ直ぐなアオヤギ青年を好演していたタマキくんが本物のアウトローとしてド派手に暴れまわるのだが、こちらとしてはさっきまでとのギャップに戸惑いを隠しきれない。
『おまえ、なにワルぶってんだよ。 ホントはどこまでも真っ直ぐな好青年じゃないか…』
と、戸惑うばかりである、、
そもそもワンピースにこんなやついたな。
そうドフラミンゴだ、ほら、なんとなくソックリだ、 あぁスッキリした。
これが私の第一印象であった… しかしタマキくん、タバコを美味そうに吸うな。愛煙家からしたら、 地球上が全て禁煙という現状に耐えられないだろう。
心中お察しする。
煙草をふかしながら破天荒に暴れまわる
その姿は、 勝新太郎が再来したかのような高揚感に襲われる。
そう思ってしまうほど、このタマキくんという男は見ていて気持ちがいいのである。
まさにカリスマ。
人を惹きつけてやまない。
そんなカリスマということで、正義の捜査官である ちゃぴちゃんはアウトローのタマキくんにハートを射止められてしまうわけだ。
無理もない。
まぁお約束のように禁断の恋が始まるわけだ。
そしてちゃぴちゃんとやらは相変わらず可憐だ。
ちゃぴちゃんは本当にかわいいので、
当然のようにちゃぴちゃんに淡い恋心を抱くやつがいる。
それがこの男だ。
なんだ、この、今にも武勇伝武勇伝とか言いだしそうなチャラ男みたいなやつは。
身の程を知れっ!
……と思ったのだが…… この男、とんでもないキーマンであった…
なんとこのメガネくんは、ちゃぴちゃんの気を惹きたいが為に、アウトローの仲間入りを果たすのだった… しかもそのアウトローの資質は筋金入りで、第一幕で高野悠を演じていた生粋の アウトローのスイートハート様が
『君こそが本物のアウトロー!』
と、認めるほどであった。 …確かこんな感じ。
あんまりちゃんとしたセリフは覚えてないのだが、とにかくこのメガネくんは、 アウトローの代名詞である主人公のタマキくんですらできないことをやってのけたのである。
それは、
『アジトを大爆発させる』
というハリウッド式のパフォーマンス!
この日1番のアウトローは、 バッディ扮するタマキくんでもなく、 第一幕で高野悠扮するミヤくんでもなく、 好きな娘の気を惹きたいが為に無茶苦茶やるこのメガネくん、いや、メガネさんだったのだ… 本日のMVPである。
好きな娘の気を惹きたいが為にアジト大爆発を実行に移すことができるのは間違いなく彼だけだ。
第一幕で私が感じた、
『男の美学』
『不良の美学』
はこんなところでも垣間見れたのだ。
宝塚歌劇団、恐るべし。
前情報の『ほぼデモリションマン』は結局デマだったのだが、 全体を通して見れば、確かにスタローンの魂がここにはあった…
宝塚歌劇団もまた、 『男の教科書』 だったのである。
タマキくんとスタローンを見比べても、 もはや違いは煙草か葉巻かだけであって、ほぼ瓜二つである。
とにもかくにも、 この宝塚歌劇団という存在は、 私が好きなものと根っこの部分は同じだと知ることになった。
彼女たちの演技は、
ジェームズ・ディーン、マーロン・ブランドのような孤高さがあり、
クリント・イーストウッド、スティーブ・マックイーンのような渋みがある。
彼女たちの踊りは、
ブルース・リー、ジェイソン・ステイサムたちの マーシャルアーツを見ているようである。
彼女たちの歌は、
エルヴィス・プレスリー、ボブ・ディラン、カート・コバーン、 矢沢永吉、甲本ヒロト、ベンジー、チバユウスケたちのような純度の高さがある。
これらを踏まえて、宝塚歌劇団というのは
『素晴らしい総合芸術』 という結論に至った。
(つづく)
夫が初観劇の感動を書き綴ったレポート【後編】
【-- 宝塚を彩る華やかで優雅なとびっきりの美女たち --】
【まず筆頭に挙げられるのはこの娘】
通称 ちゃぴちゃん。 と言うらしい。
可憐である。
だがこの娘、可憐なだけではない。 遠くの観客席から見てもハッキリとわかる姿勢の良さと筋骨隆々とした肉体美。
もはやアスリートである。
彼女は可憐で美しいだけでなく、確かな強さを持っている。
そして、そのあまりにも美しい太腿や背中を、中々にキュートでセクシーなコスプレで惜しげもなく披露してくれるのだ。
『いったい なんの御褒美だ、これは。』
正直、娘役さんをエロい目で見ているかと問われれば、
『見ている!鼻の下を伸ばしながら、娘役を、エロい目で。』
だがそれは、決して、AVを見る下卑たおっさんのような感情ではない。まるで初恋の娘と初めて手を繋いで歩いた時のような感情なのである。
そんなピュアな感情を抱きながらのエロい目で見ているので、セーフかアウトかで言えばセーフであろう。
結局なにが言いたいかというと、娘役は可憐で華やかなだけではない、確かな強さを持っているということ。 男役のかっこよさとは全く異なるかっこよさがそこにはあるのだ。
女性の本質的な強さと美しさはあまりにもかっこよく、また私を川平慈英にさせるのであった…
【他の娘役で言えば、 このジャージ娘も良かった】
サンバイザーにジャージという出で立ちに加え、性格までが絵に描いたような体育会系の娘である。 彼女が高野悠にお辞儀をする場面で私は、
『人はこんなにもピッタリの90度をつくりだすことができるのか!』
と感心してしまった。
このように、謝罪会見ですら70度なのに彼女はそれはもう綺麗な90度で頭を下げたのだ。 まさに『誠心誠意』を体現したこの娘は、この日1番わかりやすい漢気を観客に見せつけた。
娘役なのに男役よりも『漢気』溢るる『ケジメ』ってやつを高野悠に、そして私たちに示してくれたのだ。
拍手ものだ。
【そしてこの社長令嬢も忘れてはならない】
この娘、ただの高慢ちきかと思いきや、 いざ蓋を開けてみるとすごいのなんの。
おそらく幼少の頃から『社長の娘だから主役を張れている』などと周囲から色メガネで見られ陰口を叩かれてきたのだろう。
だが彼女は 『そう言われても仕方ない、慣れているから気にしない。』
と理不尽な差別や言葉の暴力を受け流すことのできる器の大きな娘だったのだ。 人一倍努力していて実力もある彼女は、 プライドの高さ以上に、優しさと強さを兼ね備えていた。
この厳格さと器の大きさ、真似できるものではない。
長々と書いてしまったが、結論はシンプルに、
『男も娘もかっこよくてかわいい』
に至る。そして、
『 清く 正しく 美しく 』
を体現する彼女たちに、私のうす汚れたど汚ぇ心を多少なりとも浄化してもらえた気もする。 以上、私の初めての宝塚日記。
夫が初観劇の感動を書き綴ったレポート【前編】
宝塚ファンのわたしがファン歴5年目にして初めて夫と共に観劇をした2018年3月10日。初観劇に選んだのは月組公演、カンパニー/BADDY。
正直虎視眈々と狙っていた夫の宝塚デビューではあるが、私が月組を贔屓としていること、現代劇なら取っかかりやすく見てもらえるだろう、ショーのBADDYはアウトローな男達が魅力的なことを理由に誘い出してみた。
注意:旦那はバイクやアクション映画を愛し、服装も革ジャン・ウォレットチェーンを着用*するようなアウトローを好物とする宝塚とは真逆の世界を生きる男である。*最近、高橋一生で一躍有名になった週刊誌叩かれコーデ参照。
そんな彼が初観劇の感動をなぜかレポートとして書きまとめてくれた。以下、そのレポートをこの場で紹介させてもらう。心温かく読んでいただければ幸いです。
【宝塚…】
それは、わけのわからねぇナルシズムを醸し出し、ド派手な格好をして妙な声域で喋って踊るだけのゲテモノショーだと思っていた…そう…昨日までは…
これでも幼少の頃から劇団四季や歌舞伎、近所の町民会館で催される演劇の鑑賞をそれなりに嗜んできた私は、エンターテインメントには少々口うるさいと自負していた。
…そう、井の中の蛙の私は、調子に乗っていた…完全に、宝塚をナメていたのだった…昨日までは…
もともと演劇が別段好きではない私は、数年前に某有名人主演のクソくだらなくて全然おもんない舞台を観せられて以来、
『二度と演劇なんか見るかぃっ!😡』
と演劇に拒絶反応を示してしまい毛嫌いしていた…「ましてや、宝塚なんぞ!」と。
だが、もういい大人だし、食わず嫌いという可能性は無いにしても、1回くらいは観劇してもバチは当たらないんじゃないかということで宝塚デビューを飾るのであった…私が大好きな映画、デモリションマンの世界観と一緒という前情報だけを頼りに…
観劇には一切期待していなかったのだが、宝塚大劇場、またはその周辺はどことなく優雅で気品に溢れ、こちらの背筋までピンと伸びるような感覚であった。
さながらディズニーランドのような、
いや、それともまた違う独特の世界観と空気に私の胸がドキドキしていたのも事実であった。
全てが優雅だ。
そしていよいよ劇場内へ。女性用トイレの大行列を尻目に、優雅なシャンデリアや大階段を目にした私は内心テンションが上がらざるを得ない状態に。『撮るでしょ、写真』と。係員のオジ様も優雅な紳士。
何度も言うが、優雅だ。
【さぁ 劇が始まった】
ミュージカル・プレイ『カンパニー -努力、情熱、そして仲間たち-』
デモリションマンと同じ世界観というBADDYの情報を混同したせいで途中まで置いてきぼりを食らってしまった。
わけのわからぬまま観ていたのだが確かに伝わるのだ、華やかさだけではない並々ならぬ努力の結晶が。儚く熱いなにかが。
音楽は全て生オケ、男よりかっこいい男装の麗人、とびきりの美女たちが華やかにキレッキレで舞っていたのだ。なにかよくわからないが。終始。
男役を初めて目の当たりにしたとき、私は松田優作のこんな言葉を思い出した。
「ヤクザは24時間ヤクザだから怖いんだよ」
これは24時間芝居のことだけを考えていた松田優作の名言なのだが、彼女ら、いや、彼らは24時間かっこいい男であり続ける為にどこまでもストイックに生きている。かっこいい男を演じているのではなく、存在そのものがかっこいいのだ。だから説得力が段違いなのである。
【まずこの主人公であるアオヤギ青年】
彼は妻に先立たれるが一途に妻を想い続けるような誠実で不器用な男である。
昨今のSNSなどとも縁遠いような、生まれてくる時代を間違えたどこまでも真っ直ぐな男である。おまけに腕っ節も強いときた。
彼は言うのだ。
「英語教師だった夏目漱石は、アイラブユーを今夜は月が綺麗ですねと訳したのです。
日本人は面と向かって、私はあなたを愛しているとは言いませんからね。」と。
彼の人柄とこのセリフがガッチリと噛み合い、私は川平慈英のような状態になってしまったのだった…
【そんなアオヤギ青年の対となる存在】
『世界の恋人 高野悠』というプリンシパルが登場するのだが…
…先に言っておくが、彼こそが宝塚初観劇の私をもっとも夢中にさせた立役者である。
このプリンシパル、只者ではないと思っていたが、やはり人間としての魅力が半端ではないのであった…
彼はスーパースターなのだが、アオヤギ青年に比べて身長が低くガリガリである。いわゆるロックンローラー体型とでも言うべきか。
彼が舞台に立てば緊張感が生まれる。
悪魔のように大胆で天使のように繊細な彼はなにか得体の知れない魅力で溢れている。
1人だけ危ういオーラを身に纏っていた。
長年身体を酷使したせいで、彼の身体は限界も限界であった。それでなのか、姿勢の良い他のジェンヌさんたちに比べ、心なしか姿勢が悪く見える。
ただ、この男に限っては、低身長で華奢、姿勢が悪いというのがプラスに働いている。この男の佇まいからなる言動全てが規格外の格好良さとなっている。
この男から感じられるものは『男の美学』と『不良の美学』であった。 キャラクターとして、キザでストイックなだけでは魅力はない。 かっこいいだけの人間、強いだけの人間などに魅力は皆無なのだ。
では、この男はどういった人物なのか?
彼は冒頭、パパラッチのハニートラップにかかってしまう。 その気になれば弁明はできたし、誤解を解けたと思うのだが彼はしなかった。 ただ一言、
『言い訳するのは嫌いなんだ』
といかにもな男らしいセリフを吐き捨てたのである。
これは一見、男らしさを強調するセリフにも取れるのだが、私が思うに、 彼はただ単純に『めんどくさかった』だけではなかろうか?
弁明する労力が無かったのではなかろうか?
人間なら誰しもが持っている、めんどくさいという感情を、言い訳は嫌いだとカッコつけて言っただけの気がしたのだ。
だが裏を返せば、「そんな労力があるなら命をかけているバレエに使いたい。」 …こうも聞こえてくるからこの男は不思議である。 ストイックな彼なら当然こう思っていてもおかしくない。 このようなイマイチつかめないところも、彼ならではの『男の美学』、『不良の美学』といったところか…
また、違う場面ではアイドルの小僧に、
『別に君たちを馬鹿にしているんじゃない、自分が命をかけてきた世界に足を踏み入れてほしくないだけだ…』
とか言ってウィーンへ帰国してしまったり。 ハタから見れば、拗ねて家へ帰る駄々っ子にしか見えないし、結局なにが言いたいのかもよくわからない。
彼はカッコいいのにカッコ悪い、強いのに弱い、ストイックなのに不健康と、どこか表裏一体な部分が目立つ。
この危うさが人間としての魅力を極限まで高めているような気がしてならない。
この高野悠という人物を演じている美弥るりかくんは天才なのではなかろうか。
そう感じざるを得ない。
クセのある台詞回し、他のジェンヌさんにはないワンテンポあるかないかくらいの手癖や足癖のある動きで観客を魅了してやまない。
彼女じゃなければこれだけ魅力のある高野悠はいなかったであろう。 そして忘れてはならないのがアオヤギ青年が主人公だからこそ高野悠が舞台で輝くということ。
【逆もまた然り】
この2人もまた表裏一体であり、光と陰でもあり、ニコイチなのである。
さながらドラゴンボールの悟空とベジータとでも言うべきか。 …なんだろうこの不思議な感覚は… …
後に聞いたのだが、これが俗に言う『コンビ萌え』というやつらしい…
マジか。これがコンビ萌えか。
と、まぁこのように宝塚の洗礼を受けた私であった。
彼女たちには拍手だけではなく、
『粋でゲス!』
『乙でゲス!』
と心から伝えたい。 だが、私は彼女らにこの湧き上がる気持ちを3分の1も伝えることができないし、純情な感情は空回りしてしまうだけなのだった…