続・夫が初観劇の感動を書き綴ったレポート【BADDY・後編】

【BADDYという男について】

 

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観客の度肝を抜くド派手な登場をした彼は、素人の私から見ても、 やはり彼こそが月組の『頭』を張っている存在なのは間違いない。 と、瞬時に理解することができた。

アウトローな不良漫画で使用されるトップの意

 

彼は言う、

『邪魔だっ! どけぇっ!! 誰も俺を止められないっ!!!』

 

これはもう完全に、歌舞伎の世界の 『大見得を切る』所作で間違いない。

 

 

一気に100人は薙ぎ倒すであろう猛将のような動きのキレ。

 

ギリギリの緊張感とタイミングで繰り出す爆発力のある声の張り。

 

確実に1番後ろの席まで届いている虎のような眼力。

 

 

もはや人間国宝じゃないのが不思議なくらいである。

 

この場にいた観客は全員感じていたと思う。

タマキくんが創り出す『男の美学』と『不良の美学』を。

この男は、ちゃぴちゃんだけでなく、観客全員のハートも射抜いていたのだ。 これを『トップスター』という言葉だけで片付けていいものか…

 

どうしてもそんな一言で片付けることはできない。

 

私は『視えて』しまったのだ。

 

タマキくんの天賦の才以上にしてきた血の滲むような努力が。

 

これは舞台に立っているジェンヌさん全てに言えることでもあるのだが、

『彼女たちは人生の全てを犠牲にして宝塚歌劇団に命を懸けている』

 

その『覚悟』は、素人の私から見ても明白だ。

そして、そんな精鋭集団のトップであるタマキくんだからこそ、 『どこまでも真っ直ぐなアオヤギ青年』 『純粋な悪のカリスマのバッディ』 この2つを見事に演じきれるのだ。

 

一見正反対の役だが、タマキくんの根っこの部分は同じなのかもしれない…

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『正義と悪』という言葉は非常に曖昧で、

アオヤギ青年もバッディも、どちらも

『清く 正しく 美しく』

を体現している。…どこまでも純粋に…

 

 

吉田拓郎の『純』という歌がある】

アオヤギ青年とバッディを演じたタマキくんを思い出すと、この歌が私の頭の中で再生されるのだ。 

 

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誰もがこの歌のように、アオヤギ青年やバッディのように真っ直ぐに生きたい。 だが生きている以上真っ直ぐ歩くなんて不可能なのだ。 どこかで必ず道を踏み外す。

 

宝塚歌劇団は、 大人になるにつれて色々と諦めてしまっている私に、もう一度夢を見させてくれた。

 

誰もが彼女たちのように凛々しく生きたい。

たとえ彼女たちのように生きるのが無理でも、優しさも持ち合わす彼女たちは、 『ダメなままでもいい。ありのままの自分を受けとめて。』と言ってくれるだろう。

 

あくまで妄想なので言ってくれるか知らないけど。 

 

 愛と夢の力は偉大である。

彼女たちはまた私にシンプルな答えを教えてくれた。

 

以上、初めての宝塚 第二幕感想。

 

~完~